今回の運動が1980年代のそれと違っているのは、それを指導しているのがビマル・グルン(Bimal Gurung)率いるGJMであるということ。1980年代は、GNLF(ゴルカ民族解放戦線。日本語に訳すとGJMとほとんど同じ意味)と、その党首であったスバス・ギシンが指導していた。
ゴルカランド運動を「分離主義」として批判するSwades氏によると、GJMは2007年末に結成された。リーダーのビマル・グルンは、もとDGHC(ダージリン・ゴルカ丘陵評議会。「ゴルカランド」の自治を担う会議)の評議員で、スバス・ギシンとは近い関係にあった。ところが両者は2007年に6th Schedule statusをめぐって対立。ビマル・グルンは完全な州としての独立を求めた。
6th Schedule statusは、この記事によると(http://www.thehindu.com/2005/12/07/stories/2005120709211300.htm)2005年12月6日に、中央政府、西ベンガル州政府、DGHCのあいだで同意されたと発表されたもの。これによって、「アッサム、メガラヤ、ミゾラム、トリプラの自治県評議会と同様の権利を獲得した」とされる。
主張がある程度認められたに もかかわらず、なぜGJMが活動を激化させているのか。
上記のSwades氏によると、2007年12月、6th Scheduled statusがParliamentで見送られたという。おそらくグルンとギシンの対立はそこから始まった。また、GNLFは依然与党ではあ るが、すでに支持者の多くはGJM支持に回っているという。たとえば、今年2月には、ニューデリーからダージリンへ帰還する途中のスバス・ギシンが、シリグリでGJM支持者によって立ち往生させられた事件があった(http://www.hindu.com/2008/02/19/stories/2008021960750500.htm)。
これまでに、学生らも参加したハンガーストライキや旅行者の締め出しといった事件も起きている。それについてはいずれ。
(一村)
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