2008年7月14日月曜日

今回のゴルカランド運動について

ダージリン三郡を中心としたゴルカランド運動は、1986年から数年間にも激化している。これについては以前の記事でも引用した関口真理氏の記事を参照してください。

今回の運動が1980年代のそれと違っているのは、それを指導しているのがビマル・グルン(Bimal Gurung)率いるGJMであるということ。1980年代は、GNLF(ゴルカ民族解放戦線。日本語に訳すとGJMとほとんど同じ意味)と、その党首であったスバス・ギシンが指導していた。

ゴルカランド運動を「分離主義」として批判するSwades氏によると、GJMは2007年末に結成された。リーダーのビマル・グルンは、もとDGHC(ダージリン・ゴルカ丘陵評議会。「ゴルカランド」の自治を担う会議)の評議員で、スバス・ギシンとは近い関係にあった。ところが両者は2007年に6th Schedule statusをめぐって対立。ビマル・グルンは完全な州としての独立を求めた。

6th Schedule statusは、この記事によると(http://www.thehindu.com/2005/12/07/stories/2005120709211300.htm)2005年12月6日に、中央政府、西ベンガル州政府、DGHCのあいだで同意されたと発表されたもの。これによって、「アッサム、メガラヤ、ミゾラム、トリプラの自治県評議会と同様の権利を獲得した」とされる。

主張がある程度認められたに もかかわらず、なぜGJMが活動を激化させているのか。
上記のSwades氏によると、2007年12月、6th Scheduled statusがParliamentで見送られたという。おそらくグルンとギシンの対立はそこから始まった。また、GNLFは依然与党ではあ るが、すでに支持者の多くはGJM支持に回っているという。たとえば、今年2月には、ニューデリーからダージリンへ帰還する途中のスバス・ギシンが、シリグリでGJM支持者によって立ち往生させられた事件があった(http://www.hindu.com/2008/02/19/stories/2008021960750500.htm)。

これまでに、学生らも参加したハンガーストライキや旅行者の締め出しといった事件も起きている。それについてはいずれ。

(一村)

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